ガス事業GAS BUSINESS

天然ガスとはWHAT IS NATURAL GAS

天然ガスって何?

天然ガスとは

天然ガスとは、広義には天然に産するガスの総称であり、可燃性天然ガスと不燃性天然ガスとがありますが、通常は可燃性天然ガスを指します。その特徴は、炭化水素を主成分としていることです。可燃性天然ガスは、その存在している状態により、構造性天然ガス、炭田地帯で産出する炭田ガス、地下水に溶解して存在する水溶性天然ガス等に分類されます。

当社グループが生産する天然ガスは?

南関東ガス田

当社グループは、千葉県を中心に茨城・埼玉・東京・神奈川県下にまたがる広大な水溶性天然ガス田「南関東ガス田」で天然ガスを生産・開発しています。水溶性天然ガスは、微生物起源のメタンガスが地下の地層水に溶解しており、当社グループはこの地層水を汲み上げることで天然ガスを生産しています。千葉県で天然ガスが産出されるのは、上総層群(かずさそうぐん)という地層です。この地層は今から約250万年前~50万年前(第四紀更新世前期から中期に相当)に海底に堆積した、主に砂岩と泥岩からなる地層です。この砂岩と泥岩の互層中にある地下水にガスが溶けた状態で存在し、ガス層を形成しています。この地層水は「かん水」と呼ばれ、昔の海水が地層の中に閉じ込められたものです。その成分は現在の海水とよく似ていますが、現在の海水と比べて約2,000倍のヨウ素分を含む等の特徴があります。

豊富な埋蔵量ABUNDANT RESERVES

当社グループが天然ガスを生産する「南関東ガス田」は、可採埋蔵量が3,685億㎥にも達する、わが国最大の水溶性天然ガス田です。その中でも、茂原地区は「埋蔵量が豊富」「鉱床の深度が浅い」「ガス水比(産出水量に対するガス量の容積比)が高い」等、天然ガス開発に有利な条件を備えています。 当社鉱区における天然ガス可採埋蔵量は約1,000億㎥であり、現在の年間生産量で計算すると約600年分にもなります。 (算定方法はJIS(M-1006-1992)の容積法による。)

天然ガス主要ガスパイプライン

←→

スクロールできます

環境にやさしい天然ガスCLEAN ENERGY

千葉県産天然ガスLCI 比較

資源が生産から燃焼に至るまでに排出する二酸化炭素量

  • ( )内は、千葉県産天然ガスを1とした時の比率

千葉県産天然ガスLCI 比較

←→

スクロールできます

  • 日本エネルギー経済研究所「わが国における化石エネルギーに関するライフサイクル・インベントリー分析」(1999)をもとに、当社グループにて試算

天然ガスは、石炭や石油などの他の化石燃料に比べ、地球温暖化の原因となる二酸化炭素や大気汚染の原因となる硫黄酸化物・窒素酸化物の燃焼時排出量が少ない、クリーンなエネルギーです。中でも、当社グループが生産する千葉県産天然ガスは、メタンが約99%を占め不純物が非常に少ないことに加え、すべて千葉県内で消費される「千産千消(地産地消)」のエネルギーであり輸送距離が短いため、液化や海上輸送等が必要な輸入天然ガス(LNG)と比べても非常に環境にやさしいエネルギーといえます。

千葉県産の天然ガスの組成

また、比重が軽いことから、ガス漏れ等が万一発生しても開放された場所であれば大気中に拡散するため安全性が高いことに加え、発熱量が1㎥当たり約39MJと高いことから都市ガスにそのまま利用でき、とても効率的なエネルギーです。

エネルギー別排出比較
CO2排出比較(1) SOx排出比較(1) NOx排出比較(2)
CO2排出比較 SOx排出比較 NOx排出比較
←→

スクロールできます

出典
  1. 1.IEA(国際エネルギー機関)「Natural Gas Prospects to 2010」(1986)
  2. 2.エネルギー総合工学研究所「火力発電所大気影響評価技術実証調査報告書」(1990.3)

天然ガスの
生産から供給まで
FROM PRODUCTION TO SUPPLY

天然ガスの生産から供給まで

天然ガスの歴史HISTORY OF NATURAL GAS

天然ガスの発見

天然ガス井発祥の碑

天然ガス井発祥の碑(大多喜町)

千葉県大多喜町は、この地方の天然ガス発祥の地と言われています。ではこの地の天然ガスはいつごろ発見されたのでしょうか。これについては諸説があります。伝説的には、天正18年(1590)本多平八郎忠勝が大多喜城主に封ぜられた6年後の慶長元年(1596)のころと言われていますが、この他にも安政・文久(1854~63)のころという説や、さらには慶応から明治の初期(1865~72)という説もあります。いずれも史実に乏しく、その間の事情については定かではありません。実録によれば、大多喜町坂花(現大多喜町上原)で醤油醸造業を営んでいた山崎屋太田卯八郎氏 (1843~95)の掘さくした水井戸の一件が、天然ガス発見の事例として残されています。

「天下無比天然水素瓦斯」と刻まれた銅板

「天下無比天然水素瓦斯」と刻まれた銅板

明治24年(1891)5月、同氏は屋敷内に水井戸を掘りましたが、真水は湧き出さず、なお追掘しても湧き出る水は、泡を含んだ茶褐色を呈する塩水のみで、遂に目当ての真水は得られませんでした。これに気落ちした同氏は他に良い思案のないまま、口にしていたタバコの吸殻を何気なく水泡のなかに投げ捨てたところ、水泡はたちまち青白い炎を上げて盛んに燃えだしました。同氏をはじめその場に居合わせた人たちはひとしく驚きの声を発してその様子を見守りました。天然ガスが湧き出していたのです。その後、同氏はいろいろと工夫して天然ガスを利用したのですが、後年、その子伊之太郎氏は井戸の様子を銅板に刻ませて「天下無比天然水素瓦斯」と称して後世に伝えました。

天然ガスの利用拡大

この最初のガス井戸は、大正12年(1923)関東大震災のころまでガスの噴出を続け、この地方の民家でガス井戸を掘る民家井発達の端緒となりました。また、ほぼ同年代に、大多喜町紺屋に居住する西尾発造という人が深度100 間(約182メートル) の水井戸を掘ったところ、褐色のかん水とともに天然ガスが噴出し、よく事情のわからないまま、ささやかな工夫を施して、家庭燃料や灯火に利用したと言います。ちなみに、当時この地方における水井戸は、上総掘りという掘さく方法で掘られ、掘さく費は、多くの場合、金銭によらないで1坑井当たり米何俵ということで請け負われたとのことです。

大多喜地方で民家井を掘るようになったのは大正の初期ごろからで、昭和に入ってから一段と盛んになり、1929~30(昭和4~5)年には井戸数40~50坑を数えました。天然ガスは、家庭燃料や灯火に、精米・精麦の動力用に、一部の農家では繭の乾燥用に利用されました。こうして、その利用は次第に拡がり、量的にも増加して1928~31(昭和3~6)年ごろにはピークに達しました。企業による生産の始まりは、1931(昭和6)年に創業した当社グループ(当時の社名は大多喜天然瓦斯株式会社)によるもので、当社グループの手で都市ガス供給も行うようになり、天然ガスの生産から輸送、さらに供給までを安全に管理する時代へと発展してきました。当社グループは現在、天然ガス事業のパイオニア、水溶性天然ガス開発のリーディングカンパニーとして、その地位を確立しています。

上総掘り

安全管理と安定供給SAFETY CONTROL AND STABLE SUPPLY

万全のセキュリティ

万全のセキュリティ

ガスの生産から輸送、さらに供給までのすべてに共通する最優先事項が万全の安全対策です。それぞれの工程での最適な施策や設備機器の確かさに加え、全体を貫く制御システムを完備しています。

生産の始点である井戸から、網の目のように張り巡らされたガスパイプラインまで、日々のパトロールから始まる365日、24時間体制の監視・制御を行っています。ガスの需要は、季節や時間帯、あるいはその日の気温等によって大幅に変動します。こうした需要変動に合わせて、ガスの生産、送出も集中コントロールしています。また、パイプライン網は複数の系統で構成され、万一パイプライン等のトラブルが発生しても、その周辺のバルブを制御することで、ガス供給を中断せずに、別系統からガスを供給できる万全の制御システムを採用しています。
さらに、多くのお客様にガスを販売する都市ガス分野においても、いつでも緊急出動できる体制をとっており、緊急通報設備、緊急出動車両等を常備しているほか、ガス導管の定期点検や、お客様を訪問してのガス機器や設備のチェックによる予防保全に努めながら、お客様の信頼に応えられるよう、日々努力を重ねています。

ガス源の多様化

当社グループは、地域の産業・生活を支える基盤産業に携わる者として、その安定供給を最も重視しております。そのため、千葉県内で生産する天然ガスに加えて、海外より輸入されるLNG、LNGタンク内で液状のLNGの一部が自然に気化したガスであるBOG、石油化学工場で副生するオフガス等、複数のガス仕入先の確保やガス源の多様化を行っており、長期安定供給が可能な体制を築いています。今後も長期安定供給が可能な国産天然ガスを中心にしながら、多様なガス源のベストミックスによる拡販を行い、積極的な事業展開を図ってまいります。

千葉県産天然ガスを主体としたネットワーク
千葉県産天然ガスを主体としたネットワーク
LNGネットワーク
LNGネットワーク
グループ会社の紹介
グループ会社の紹介

ヨウ素事業を見る